hisnd's blog

夢は海辺でぼんやり海を見ながら暮らすこと。

変わっている。という評価。

最近、思うことは、人は、自分の立ち位置を把握したいときにこそ、人は誰かを評価する傾向にあるのではないかということ。

誰しも自分自身を測る絶対的な自信なんかないからこそ、しっかりと誰かを評価した上で、どこかで自分と比較しているところがあると思う。

 

私は、「変わっってるね。変だよ。」などと、たまに猛烈に評価される時がある。

正直、そんな言い方されるとこっちは堪える。だけど、よく考えたら、評価してる本人は、自分は正しい。普通であると、猛烈に自分を正当化してる前提で、相手を自分【普通】と比較して、変だと評価しているのだ。そして、評価してる人にとっては、【普通】であることこそが、善なのだろう。

 

ただし、私は、ここで、言いたいのだ。評価してる方は、自分が【普通】であることに喜びを感じているのかもしれないが、そんなこと私からしたら、糞食らえ。であるということ。言葉が汚くなったことはお詫びしたいが、むき出しの言葉を使えば、内心そう思っている。

 

だって、変。の何が悪いのだ。私にとってすれば、普通の方が、よっぽど、悪というか、全くもって面白くない。評価基準とすれば、変の方が、よっぽど高いレベルにあるのだ。

ただ、そんなことを言い始めれば、【普通】の方々から、変の悪さや普通の善を力説フルボッコされた経験があるから、もはや闘うことはないのだけれど。面倒だし。

 

そう、私たちは、違う価値観で生きていることをできるだけ前提としていてほしいということを、私は言いたいのだ。

 

私の価値観の中では、変>普通。ただ、それを(こうやってブログに書くことはあっても)誰かを目の前にして、それを振りかざして評価することは辞めたつもりだ。そんな評価という不毛な議論よりもすべきことが世の中には、たくさんあるのだ。

 

高級レストランで、ダイエット中だからと、最後のデザートが半分残されている国があれば、1週間まともに食事にありつけない人もいる。そんな空の下に生まれているんだから。何かもっと成し遂げたいと。今はたいそれたことを考えている。