私もゆとりですがなにか
クドカンの最新のドラマ『ゆとりですがなにか』を見た。
ゆとり世代の私。
劇中にたびたび出てくる「これだからゆとりは。」の台詞に色々考えさせられた笑。
ゆとり世代。この言葉が出てきたのはいつから?
劇中に出てくるように、生まれてからずっと不景気で、幼稚園で阪神大震災、小学校で無差別殺人事件を傍観、中高ではキレる未成年的なことを言われ、学歴至上主義は変わらず、頑張って入った大学ではリーマンショックに、東日本大震災。私がゆとりを感じたことは一度もない。
そういった事情の中で私が思うに、ゆとり世代は、私たち20代をひとくくりにするのに便利な言葉で、ゆとり世代自体は、社会の中で少数で、理解されづらい。コンテンツとして面白い、扱いやすいから、揶揄されやすいなのではないか、ということ。(同様に、上の世代が、かつて新人類と名付けられたていたように。)
確かに、20代は、わりとデジタルネイティブに近い形で、おそらくケータイを子どもの頃から持ち始めた世代で、mixi,facebook,twitterにはじまりSNS等、直接会うよりか電話やインターネット上で友達とコミュニケーションをとることが他の世代より多くなった世代。客観的にも、上の世代とは、コミュニケーションの仕方が異なるのかもしれないと思うこともある。また、主観的にも、デジタルでのつながりは、文字だけという面で、アツいものとはほど遠いから、過剰なアツさとかイマイチよくわからないし、面倒くさいと思ってるふしはもちろんある。けど、一方で、仲の良い友達とは、もちろん直接会うことのほうが多いし、積極的にアツく付き合う一面もある。おかしいと思ったことは、ちゃんと自分で主張する(それは、パワハラ主張とか言われる笑)。
つまりは、私たちの世代から見れば、ゆとりの生き方(そのバックグラウンドが違うから世代間で生き方が違うのは当然で、何なら世代とかいうより個々人でバックグラウンドそれによって育った価値観は違うんだから生き方は違って当然で)、他の世代と違うこと、それの何がおかしいの?と思っちゃう。
ゆとり世代からすれば、(世代でくくられるのいやだから、個人レベルで考ちゃうけど)、自分の生き方が未熟ではあるけれど、揶揄されるほど、劣ってると言われるのはすごく心外で(自分なりに何が正しいのか悩みながらここまできてる)。けど、ゆとり世代以外の上の世代からしたら、ゆとりが違和感ありまくりの生き方であることは、感じてるし、わかってるから、摺り合わせる努力もしてる。けど、ただただ、今まで通りの価値観を押し付けられても。という部分はすごくある。お互いの世代が、それぞれの世代の生き方を尊重することはできないわけ?いつも目上の人が一番正しいの?逆に上の世代に柔軟性がないって言い方もできるんじゃない?大人になってもこんなもんかと思うみたいに目上の人もそんなに大人でない人ってわりと多い!?逆にゆとり、ゆとりって言ってくる人達は、どういう立場でそれを言ってきてるわけ?目上だから?それって根拠になるの?自分は全肯定な訳?もちろん、長く生きてる分、大変な経験も多くなるわけで、長く生きてるただそれだけですごく偉いとおもうけれど、だからといってそれが、価値観を押し付けて良いっていう正当化の根拠にはならないんじゃないかな。
もちろん、私たちは、まだまだ未熟で駄目なとこたくさんあるってこと前提だけど。
ブログだから、言いたいこと言ってもいいよね。
ゆとりだからって何がわるいの?
私もゆとりですがなにか。
このブログ自体がゆとってる。
って言われそうだけど笑。
自分の思ってることは、ちゃんと思ってないと、自分がなくなって流されちゃうと思うから、ここで、ちゃんと書いとこうと思った。
私もゆとりですがなにか。
(ここで、こんなに反論せずに、言いたい奴には言わせとけな感じで、すかせたらかっこいいのにと思っちゃう私は、まだまだ青いし、反論してる場合じゃなくて目の前のことがんばんないとね。)
【今日のフレーズ】
ゆとり
allowance,YUTORI generation