hisnd's blog

夢は海辺でぼんやり海を見ながら暮らすこと。

"日常"が揺らぐ モロッコでのちぐはぐ 今生きている意味 石井光太さん

私たちは

毎朝

 

暖かいベッドの上

スマホのアラームで目覚めて

暖房をつけ

洗面台で顔と歯を洗い

朝御飯を食べながらテレビを見て

洗濯されアイロンされた洋服を身につけ

いそいで身支度を整え

職場や学校に向かう

 

そんな日常を送っている人が

大半だと思う

日本では。

 

石井光太さんの本を読んでいると

世界のどこかでは

それらの日常が

あり得ない日常となる場合が

あるのだと

知ることになる

 

暖かいベッド

スマホ

暖房

浄水された水

過不足ない食事

身につけている以外の洋服があること

学校や職場が生活の中にあること

 

この日常が世界を見渡せば

とても特別なものであることを気づかされる

 

私にもこんな経験があります。

私は旅行中、モロッコの駅で夜行列車を待つ間、

モロッコのタンジールという都市から別のモロッコのラバトという首都へ出張に発つ、モロッコで生まれモロッコで育ったという聡明な1つ歳上のキャリアウーマンに出会いました。

彼女はアラビア語、フランス語、英語が堪能で、話してるだけでも頭の回転が早く有能であることがわかるタイプでした。

私のバックパッカー然とした身なりをみてか、お弁当の美味しい手作りのサンドイッチとジュースをくれました。

余裕のある優しい人でした。

端々の優しさから、彼女は私より精神的にも物質的にも豊かな生活を送っているんだろうなぁ、何て憧れさえ抱くほどに。

電車が来るまで2時間ほどあったので彼女と沢山話しました。

私は日本からヨーロッパを経由してモロッコに来たことを伝えると、彼女は羨ましがり、物価の違い等から大きな会社で働いていてもなかなかモロッコの外に出るのは難しいということを教えてくれました。私は日本人が海外旅行するときに少しお金を貯めておかなくてはいけないような感覚だろう。大して深刻な話でもないだろう。と「へぇー。」とまの抜けたような反応を返していたと思います。

電車の到着時間になり、彼女と電車に乗り込もうとしたとき、バックパッカー姿でボロボロの私は一等席、スーツでキャリーバックを持った彼女は二等席でした。彼女と会う前に、安さと夜行列車であったことから安全面を考慮し買ったチケットでした。

ちぐはぐだと感じました。

私がモロッコに生まれ育っていたら、同じ状況で私は一等席のチケットを買えなかったのではなかろうか。ふとそう思いました。そんなことを考えてしまうことすら思い上がりであるように思いました。

生まれでた場所で決まるいくぶんかのことを初めて実感として感じた経験だったかもしれません。

それ以来、自分を情けなく思うこともありますが、ただ無力感を感じるのでは本当に無意味で、むしろ失礼であると感じるようになり、今この日常をどうしていくかにより意識を向けるようになったように思います。

私にとっては、まだまだ、何かできないか、なんて上から目線の思い上がりもいいとこだと思います。ただ、なんとかどこにいても恥ずかしくない人、自分の軸を持ち、相手に創造力を働かせることができる人になりたいと具体的な理想を持つようになりました。

 

 

たまに嫌になる日本での日常

けどあの人にとってみれば贅沢すぎる日常

怠惰に過ごしてはいないだろうか

日本のぬるま湯で贅沢な日常に甘えている自分が恥ずかしくなる

この日常を与えてもらったことには何か意味があるのか

自分が今ここで生きている意味

色んなことを感じさせてくれる本

 

おすすめです。

Kindleで100円台で読めるものもあるので是非。

 

写真増補版 神の棄てた裸体?バングラデシュ編?

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